新年会だよ!下道塾 2

〜 1月12日(日) 食事会&新年会 〜

・・・眠い(=_=)・・・今回泊まった東洋健康ランドは、まるで寝れなかった。
普通、夜中にはTV消したりするもんだが、ここはマジで24時間放送中なのだ・・・ちょっと勘弁してほしい。

9時少し前に眠い目をこすりながら出発準備をしていると、MOTOちんから携帯メール。
どうやら向こうもちょうど出発のようである。 お互いの無事を祈りつつ、返信。

『 こちらは雪です 』

また懲りずに嘘八百のデマメールを送ってやった。Ψ(`▽´)Ψ ゥヶヶヶ...
ふっふっふっ・・・これでMOTOちんはビビって進軍速度が落ちるはずである(鬼)。
ちゅーか、先の「お互いの無事を〜〜」ってのが、俄然嘘っぽく思える返信ではないか(自爆)。

しかし、都合の悪い事は忘れる性格なので(笑)気にせず、出発進行(おいおい)。
さすがに空気が冷たいが、澄んでるというか、なかなか気持ちがよい。 完全防備でよかった♪
進行方向に見える伊吹山脈は、当たり前のように雪化粧・・・よくよく見ると進行方向の雲行きが怪しい。
ものすごく「ドンヨリ〜〜〜〜」と重い雰囲気である。

ノタクタとR21を走り、大垣を過ぎた頃にチラホラと畑などに雪を見かけるようになる。
交通量があるので、凍結などの心配はもとよりしてないが、雪が残ってる事に少々驚く。
正直、幹線道路で見かけるとは思っていなかった・・・認識が甘かったなぁ・・・あぁ寒波来てなくてよかった。

ところで、今回のくまんぼの旅テーマは「戦国の悪人大名シリーズ(*)」である。
関ケ原合戦の戦局を決定付けた裏切り者、小早川秀秋、
その関ケ原合戦のキッカケを作った、石田三成(後述)、
そして豊臣政権二代関白でありながら殺生関白と言われた、豊臣秀次、
この3人に的を絞って、やる気満々だったのだが・・・

・小早川秀秋 = 関ケ原合戦では西軍でありながら、東軍に寝返り戦局を大逆転させちゃった張本人
・豊臣秀次 = 秀吉の甥。権力を利用した無益な殺生を理由に追放され、切腹に追い込まれちゃった人

(*) 彼らは一般的に少々イメージが悪いという意味で、必ずしもやる事なす事、極悪非道だったわけではない。
戦争してりゃ裏切りもするし、ケンカも売るし、プレッシャーに耐え兼ねておかしくもなるような時代である。
各人ともに、逆にそういう悪いイメージとは正反対の「素晴らしい武将」という史料も多数も存在する。

・・・関ケ原に入った途端、道路端にも結構雪が積もってる状態で、一気にテンションダウン。。。(ーー;)

とりあえず、関ケ原合戦での小早川秀秋の陣所・松尾山城へ向かおうと思うものの・・・
この有様↓で、なんだか行くのが恐くなってきた(笑)。 足元とかグチャグチャになりそうだ。。。(ーー;)

ちなみに左の建物は、日本古代三関のひとつ・不破の関所跡地で、この道路が旧・中山道(東山道)。
1300年前から存在していたもので、この前が広大な野原だったことから「関ケ原」というようになったそうだ。
また、ここを境に「関より東=関東・関より西=関西」という、ある意味日本の東西分岐点。
現在、くまんぼ号は前輪が関東、後輪が関西である(笑)。

「天下分け目の関ケ原」とかって言われるように、日本を二分した大きな戦争があったイメージが先行しているが、
実際にはもっともっと昔から日本の東西の境目だったとは・・・なんでも訪れてみるもんだ。
同時に、戦国期に終焉を打ち、現在のダメダメニッポンの礎を築いた(と、わしは思っている)徳川家が
実質的な権力を決定付けた戦争が行われた地が、偶然ここというのも、それもまた運命だったんやろか・・・。

で、肝心の松尾山へは近くの脇道をトボトボと歩いて登らなければいけないので・・・早々に撤収(笑)。
早速予定変更という、今年もヘタレっぷり全開のくまんぼであった。。。

そして米原周辺では、とうとうドンヨリ雲に突入。 雨まで降ってくる始末。(;_;)しくしく......
それほど強くはないし、進行方向の雲が少し薄いのでカッパを着ずに進む。
途中、少々まとまってきたのでガソリン補給ついでに少し雨宿り。
MOTOちんに 『 只今ヘコみ中 』 とメールする・・・
きっと、わしが嘘デマメールばっか送ってたからバチが当たったんだろう・・・反省 (ーー;)

反省した甲斐があったようで、10数分で小雨になったので再び進軍開始。
R8佐和山トンネル手前で、佐和山城大手門跡地に立ち寄る。

   

汚れた木製の史跡碑があるだけで、案内板などない寂しい景観。
しかしながら城道はほぼ当時のまま残ってるようで、キッチリ曲がってる城道の特徴がわかる。

   

今でも、城域を囲んでいた土塁が一部残る(左画像の中央両端 & 右画像)。
左画像の正面左に見える山が佐和山城で、山頂部分が削平され台形になってる事がよく分かる。
あそこにデデーン!と天守閣が建ってたのか・・・こうやって見ると、いかに広大な敷地だったか想像できる。
ちなみに、この大手道はほとんど整備されていないが、現在でも登城可能らしい。
(途中で電車の線路で寸断されてるそうだが)

一旦、ここから佐和山トンネルを抜けて・・・すぐのところでストッピング。

・・・ついに来てしまった・・・知る人ぞ知る、というかR8を通った事がある人なら、かなりの人が知ってるはずだ。
ものすごく怪しい建造物が乱立している「一帯」を(笑)。
くまんぼも以前から「・・・ありゃ何だ?」と常々疑問に思っていたので、今回とうとう訪問する事になった。

佐和山遊園

・・・え? 知らない? うそ? マジ!?

知らないと言う人は、R8大津・彦根方面から米原方面へ走るときに右手を見てほしい。
金閣寺とかあるんだって((爆))、いや、マジで((爆))。
何がスゴイって、バイク(車)で走ってても「どう見ても寂れてるよな、あそこ・・・」って分かるほど寂しく怪しいのだ。

   

天守閣と五重塔・・・もうこの画を見ただけで、怪しさ満点である。。。何をどうしたいのか、まるで分からん(^^ゞ。
ヒビ割れた馬像の後ろには、なんか「佐和山美術館」とかってあるんだが・・・もちろん開いていない(笑)。
看板には「財団法人 佐和山三成会」と書いてあるが・・・その団体がどういうものなのか、謎・・・(ーー;)。

   

ボロボロでオバケ屋敷のような美術館があるのに・・・新たに何か作ってるとこが怖い。
どこから見ても獅子には見えない、ヘンテコな生き物がくっついてるし(笑)。
五重の塔のデザインも、よくよく見るとすごい形をしてる・・・。
で、この隣には、観音さまとかが乱立してて墓地がある。 ・・・正直、ここには葬られたくない。

   

意を決して、正門(?)らしき場所へ行ってみると・・・「勝手に入れ」と太っ腹な看板。
半開きの扉を恐る恐るくぐると・・・( ̄∇ ̄; ラブホみたいな城がドドーン!!(笑)

      

敷地内を歩くと・・・まさに廃墟・・・ちゅーか、ちとマジビビリするような雰囲気(^^ゞ。。。
1歩1歩慎重に歩を進める、まさに 『 リアル バイオハザード 』 の世界である・・・
階段を登ると・・・( ̄∇ ̄; 石造りの供養塔とか置いてんじゃねーよ!!!( ̄∇ ̄; こえーぢゃねーかっ!!!
ちなみに、佐和山城主だった石田三成一族の供養塔らしい・・・南無南無〜〜〜〜(-人-)

   

建物のガラスなどは多くが割れている・・・覗いてみるも真っ暗でよく分からないのでフラッシュ撮影すると・・・
ぎゃーーーーー!!! なんだか草がぼーぼーだよーーーー こわすぎるーーーー (T_T)
半べそかきながら、この場を後にする・・・

   

今度は「石田三成の生涯」を見ながら階段を登れ、という趣向らしい。
・・・が、見てのとおり、額は外れてるわ、一部ガラスが割れてるわ・・・えらいこっちゃ。
ちなみに、三成贔屓の場所らしく、ここに描かれている家康はものすごい悪人顔である((爆))。
日本全国で、家康をあれほど悪人風情に描いてるのは、恐らくここだけだろう(^^ゞ。

      

階段を登ると・・・あの天守閣(?)が目前に迫る。
石田三成の像もあるんだが、どう考えてもデッサンがおかしい(笑)。 竹刀みたいな刀持ってちゃダメだって。
で、どうやらここは「新 佐和山城」らしい(笑)。 「城」しか判別できず、近づいて初めて分かった(^^ゞ。
更にすごいのが、右画像の構図だろう・・・屋根が地面と合体してるよ・・・おいおい(ーー;)。
ちなみに赤丸内に、ちょびっと突起があるのが分かるだろうか?
彦根城(国宝)の天守閣である(笑)。 こんな組み合わせが経験できるのは、ここだけだ(笑)。
国宝だか何だか知らんが、ガチンコ勝負してやるぞ! という反徳川派の生き様を感じられる(ビバ!)。
ちなみに天守閣(?)の中には入れない。
外から見た感じでは、昔は入れたようだが・・・先の状況を見てるので、入れても入るのは遠慮したい(^^ゞ。

そこから進路に向かって歩いて行くと・・・出たよ、金閣寺((爆))。
ちなみに中(1階部分)には、仁王像みたいのが乱立している・・・(ーー;)。
「本物」を見たことがある人も多いと思うが、当然の事ながら「輝き」が全然違うとこに、ある意味「味」がある((爆))。
こちらは「新品の10円玉」の輝きである(笑)。

・・・あ・・・もしかして、金閣・銀閣ときて、銅閣、って言うオチか?( ̄∇ ̄;
だとしたら、作った人はシャレの分かる人だな、きっと(笑)。

   

最後に見たのが「伝島左近屋敷之門」とかってやつ・・・マジですか?(^^ゞ
これだけ色んなもん見てると、「伝」ってマジメな言葉に惑わされてしまう・・・恐るべし、佐和山遊園。
もしかしたら、ここのオーナーが勝手に語り継いでんじゃねーだろうな(笑)。

結局、ここが何なのか、イマイチ分からず余計に謎が深まってしまった(自爆)。
まぁ、石田三成のテーマパークっぽい意図は分からんでもないが・・・やっぱり金閣寺は理解不能である。
・・・こんなところで1時間以上もノンビリしてる、わしもわしだが(^^ゞ。

さて次は、本物の佐和山城へ向かうとするか。

この佐和山遊園からも登山道が整備されてるが、少々キョリがありそうなので別ルートから登る。

ウロウロしてる時に偶然見つけた、石田三成屋敷跡地の碑。
今では画像分のスペースしか残っておらず、往時を想像する事すら不可能(^^ゞ。
なんと、ゴミステーションという落ちぶれぶり。。。

   

一転して広大な敷地が残るのは、島左近の屋敷跡(伝承地・現在は清涼寺・左画像)。
清涼寺は徳川家臣・歴代彦根藩主の井伊家の菩提寺らしい。
清涼寺と隣り合うようにある、龍潭寺(りょうたんじ)の脇から佐和山城へ向かう(右画像)。

とぼとぼ進むと・・・三成の像がひっそりとあった。
普通、こういうのって道路に面してたり、公園とか駅前にあるのに、まるで人目を避けるように設置してある。
なかなか評価されにくいのかねぇ、やっぱ・・・井伊・彦根藩のお膝元だし。
ちなみに、その井伊は神として井伊神社に祭られている。 場所はここから徒歩1分である。 勝者と敗者は、ここまで差がつくものか・・・(ーー;)

石田三成 いしだ みつなり 1560〜1600
幼名・佐吉、のち治部少輔。 豊臣政権を担った執政組織・五奉行のひとり。
秀吉に仕えていた石田正継という3万石の武将の子で、秀吉との出会いの話(*)で有名な「寺の坊主出身」というイメージは俗説。
しかしながら、いつごろから秀吉の直臣になったかは定かでない。
秀吉の近習として多くの合戦に従軍するも、直接的な戦闘よりも内政面に才能を発揮。
山崎・賤ヶ岳・小牧長久手などにも参戦していた、というのが信じられないほど、しばらくは歴史の表舞台に登場しない。
秀吉の関白就任前後から、側近として活躍し政権を支えたが、秀吉没後は五大老筆頭・家康と対立の構図が浮き彫りになり、ついには挙兵。
兵力数・配陣など有利な条件で関ケ原で迎え撃つも、毛利軍・島津軍などの静観や小早川軍の裏切りなどで敗北・敗走。
逃亡中に捕らえられ城門に晒され、斬首刑、晒し首という当時の極刑フルコースを味わう事になった。
「関ケ原合戦を引き起こした張本人」「家康に反逆した悪人」というイメージが強いが、徳川政権により形成された人物像のように思える。
普段の生活は質素で、関ケ原戦役ではなんと三成を知らない者も多かった、というぐらい地味で目立たない人だったようである。
ここまで「悪人」にされてしまって、少々可哀想だ。。。

(*)秀吉と三成の出会い 〜三献の茶
鷹狩の途中、ある寺に休憩に立ち寄った秀吉が茶を所望したところ、寺の坊主が
1杯目にぬるい茶、2杯目にやや熱い茶、3杯目に熱い茶を順番に差し出した。
喉の乾いている相手に、まずは飲みやすいぬるめの茶をたっぷり出し、渇きが癒えた後は熱い茶を味わってもらう・・・
という坊主の心使いに感服した秀吉が彼を連れて帰った、という話で、言うまでもなく坊主がのちの三成・・・というオチ。
この話に史実的な確証はないが、三成が寺で奉公していたのは本当らしい。

■ 佐和山城の様子は こちら 参照(別窓) ■

佐和山でまったり中、また雨がポツポツ落ちてきた。。。
携帯を見ると、MOTOちんから・・・ 『 関ケ原周辺はほんとに雪だ!』 と返信が(笑)。
想像以上にMOTOちんのペースは快調そうである。
ちゅーか、わしのペースが年を越しても相変わらず遅いような気もするが、まぁいいか(^^ゞ。

そういや、MOTOちんは彦根城に行く、というような話を聞いていたので
『 現在、彦根城を見下ろしてます   雨でヘコみそう 』
とメール・・・すると、比較的早めに、『 こっちは晴れてるよ〜 』 と返された・・・(+_+)がくっ

今まで「雨男」と言われていたMOTOちんだが、今年は「晴男」に生まれ変わったようである。

その後、佐和山を下山後、くまんぼ号はR8をトボトボ進み、次の目的地へ到着。
校舎の取り壊し問題で、とうとう町長リコール再選挙まで行われる騒ぎになった豊郷小学校である(笑)。

ぶっちゃけた話、校舎の存続云々についてあまり深く考えた事はなく、単純に「タイムリー」なので寄っただけだ。
「野次馬」なので、可能であれば住民と機動隊の衝突!というような殺伐とした画が欲しい、という(^^ゞ、
なんとも不謹慎極まりない事を考えていたが・・・予想に反して、非常〜に静かであった(笑)。

   

奥が校舎で、ニュースなどの報道で知られているように現在は完全封鎖状態。
価値がどうかは知らんが、確かに相当年季の入った建造物である。
右画像が正門前で、手前のプレハブ小屋が仮校舎らしい。

しかしながら、この静けさゆえに気の弱いくまんぼは漠然と「取り壊し反対署名」に署名してしまった(^^ゞ。。。
まぁ、報道されてる事が事実であれば、町長の独断であれこれ事を運んでたらしいし・・・まぁいいか。

そうは思いながらも気になる点がひとつ・・・
校舎に文化財的な価値があるかどうかは別として、ここを使ってる生徒=子供はどう思ってるんだろうか?
意外と、あーだこーだと騒いでるのは大人だけかもね。。。

再び歩を進め、いよいよ下道塾・食事会会場近くまで無事到着。
この近辺に来たらお約束(笑)の安土城は、夕刻が迫っていた事もあり、ひとまずパスして近江八幡へ向かう。

   

水郷の町、近江八幡の目玉(?)、水郷巡りの船乗り場・・・と思われる。
そう看板が出てたんだが・・・人はいないし、キップ売り場(?)みたいなのもどこにあるんだか・・・。
いや、別に乗ろうと思ってたわけではないから、どーでもいいんだけどね(^^ゞ。

■ 近江八幡城の様子は こちら 参照(別窓) ■

さて、近江八幡を(それなりに)満喫し、まだ食事会まで時間が少しある。
今からスーパーダッシュで向かえば、安土城から夕日を拝めるかもしれない!

・・・という事で、安土城へ向かう。

      

久しぶりの安土城は、また往時の姿を取り戻しつつある。 左画像は、伝前田利家屋敷跡の復元された石垣群列。
今は大手門周辺を発掘調査してるようだが、毎度の如く想像以上に規模が大きいようで・・・
このまま行くと付近を走る県道も掘り起こすんじゃないか、と余計な事を考えてしまう(笑)。

そして泣きそうになる石階段を駆け登り、夕日を望める八角平と呼ばれる場所へ向かう。
しかしここの階段は、マジきつい・・・信長に呼び出され戦々恐々の家来も、泣きながら登ったのかなぁ?
いよいよ、本丸周辺に到着・・・がびーん、発掘調査で立入禁止になってる・・・がくっ(+_+)。。。
仕方ないので天守閣跡の石垣上から西を望むが(中画像)・・・何も見えん(自爆)。
ちなみに天守跡はキレイに埋め戻されていました(右画像)。

これらの画像、スローシャッターで写したので少し明るく写ってるが、実際には結構暗い。
かなりしんどい石階段を、くまんぼMAXパワーで駆け登りヘロヘロになっているところに人影が・・・
こんな夕刻に登ってくるバカたれが、わし以外にもおったのか・・・と思ってよく見たら、MOTOちんではないか(笑)。

おぉ!同志よ、よく参られた。 どうじゃ、信長さまの素晴らしさがよく分かるであろう♪
・・・と問いかけたところで、この暗さでは何も分からないというもんである。。。(自爆)
こんな時期なので一度引っ込んだ太陽は周囲を一気に闇へと誘い、二人でドキドキしながら下山。

今だから正直に言おう・・・
あの暗闇の中、わし一人ではビビりまくっていたのは間違いない(自爆)、MOTOちんの出現は救われた(笑)。

さて、いよいよ下道塾食事会の会場・和食のさとへ。

   

みんなマジメである・・・どうせ集合時間ギリギリに行ったって、数人しかおるまい・・・
というわしの予想を覆し、勢揃いではないか・・・(ーー;)。。。

      

食事会のメニューは自由な下道塾らしく、メニューは各人自由で選択。
くまんぼは海鮮ちゃんこである。 密かにマスターDさんと同じ選択で2ショットメニューであった(笑)。

ちなみにくまんぼは「鍋」をする時に、「キレイ」に盛り付けをするのが苦手である。
第一にめんどくせー、第二にめんどくせー、第三にめんどくせー・・・ そう、とにかくめんどい(笑)。
どうせグツグツ煮込むんだから、一気に全部入れたほうが楽チンじゃん。。。
・・・とは言いつつ、やはり最初は「行儀よく」鍋に具材を放り込む、くまんぼとD氏・・・
恐らく、Dさんもわしと同じ考えだったんだろう・・・微妙に箸の動きがぎこちない(笑)。
どちらからともなく、「・・・全部どさっと入れよう・・・」という結論に達し、男らしく一気に具材投入!
そして中画像の「漢(おとこ)の鍋」完成♪ これだ・・・やはり鍋はこうでなくてはいかん(うっとり)。
そして「漢の鍋・ほぼ完食の図」(右画像)。  余談だが、ここのちゃんこ鍋はラーメン入りであった・・・なぜ?

   

「祭り」の後(笑)、各々まったり中♪(左画像
しかし鍋でホカホカの体にムチ打ち、今度はホテルへ向かう。 さぶいよ〜{{{(+_+)}}}

ホテルについたのはいいが、部屋割りとか何も知らないメンバー(自爆)。
いや、それ以前に、みんながどこの部屋にいるのかさえ知らないときたもんである。。。
自由な下道塾・・・とことん自由である(笑)。

      

とりあえずひとっ風呂浴びて、新年会スタート♪ 実は本人達に内緒で、1月生まれの誕生会を開催♪
kuniさん、てっちゃん、TOYOさん、masaoさんの奥さんが該当者で、みんなでお祝い♪はぴばすでー

   

ちゃんとケーキのろうそく消しも実施。
真っ黒画像は「吹き消した瞬間」を撮ろうと、ノンフラッシュで狙ってたら部屋の電灯を消すという演出に
気付かず、こうなりました(笑)。 えぇ・・・「黒い中身」はてっちゃんです(笑)。

ちなみに、大きな声では言いませんが、くまんぼは2月生まれです。 そういえば塾長も2月生まれだな・・・
いやいや、大きな声では言いませんけどね・・・もしかしたら少し字が太いかもしれないけど(笑)。 ケーキはいいから、誰か現金くれ現金(笑)。

      

そんなこんなで各自の自己紹介を交えながら、宴は進みます。
バイク乗りのメンバーに限らず、今回はお泊り企画という事で家族旅行を兼ねて来られた人も多数。
既婚者で単身参加者の家庭内不和があるかどうかまでは知りませんが・・・(笑)。

ちなみに、全国各地のミーティングなどに積極的に参加してるてっちゃんへ、こんな質問が・・・

「 いつもバイクで遊んでるけど、奥さんとかに怒られないの? (要約)」

くまんぼは独身なので、イマイチ実感はないが、恐らく既婚者には「素朴な疑問」なんだろう(笑)。 肝心のてっちゃんのお答えは・・・

「 別に怒られない。 それどころかそれなりにお小遣いとかもくれるよ (要約)」

おぉ!!大方の予想を裏切る回答!( ̄∇ ̄;  わしにも小遣いがまわってくるように割増請求できんもんだろうか?(笑)

ここで、くまんぼの隣にいたTOYOさんの奥さんが、「 耳が痛い・・・(ーー;) 」とボソッ。。。
しかし、その一言を知ってか知らずか、てっちゃんが続ける。

「 まぁ遊んでる分、フォローはしてるけどね。 プレゼント贈ったりとか (要約)」

ここで、形勢逆転・・・今度はTOYOさんが、「 耳が痛い・・・(ーー;) 」とボソッ。。。
・・・わしの隣では今まさに「夫婦間の駆け引き」が水面下で行われているようだ(笑)。

まぁ、他人の家の事はわしの知ったこっちゃないが((爆))、てっちゃんてば下道塾精神のケースバイケースを
キッチリ実戦してるのね・・・やっぱ、この人は拝んどかなあかん(笑)  (-人-) 南無南無〜

他にも、あまのちちゃんが塾長に説教食らってました(嘘)。
その模様は こちら  4コマ漫画・あまのちくん をどうぞ♪(別窓・ちょいサイズ大きいです)

ちなみに、知ってる人は知ってると思うが、塾長と熱く語るとおもしろいです(笑)。
何がおもろいって・・・彼は熱くなればなるほど言葉使いが「丁寧語」になります(笑)。
そんな、ネット上や普段のミーティングでは感じにくい各人の特徴などが垣間見れるのも、
こういう泊りがけだからこそでしょうな(笑)。。。

そして宴は遅くまで続いたそうだが・・・当然、くまんぼはとっとと眠りにつきました(笑)。 説教が怖いから(嘘)。

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