がんばれ!日本代表! ワールドカップ必勝祈願の旅
2002・5・21〜22

1日目・21日 自宅 〜 上野 〜 奈良


上の画像はどこかで目にしたことがあるだろう。
左より、 ・代表チームのユニフォームでもお馴染みの、エンブレム
・日本サッカー協会(JFA)の旗章
・数年前に登場した、JFAのマスコットキャラクター である。
いずれにも「3本足の鳥」が描かれているが、これは「八咫烏(ヤタガラス)」というカラスである。
よく残飯をあさったりして厄介者扱いされ、西洋ではあまりいい意味にとられないカラスであるが、
驚いた事に日本をはじめ東洋では神聖な動物として捉えられる事が多いらしい。
もちろん「3本足のカラス」など学術上存在するわけもなく(^^ゞ、想像上の動物だ。
元々は中国の古典に登場し「太陽の使い」と言われ、日本においては、「古事記」や「日本書紀」に
「日出ずる処(=東)」に向け突き進む「神倭伊波礼毘古命(カミヤマトイワレビコノミコト)」が、
熊野山中で道に迷った際、この八咫烏に道を教えてもらい無事進路を見出し、奈良橿原にて
天皇に即位(初代=神武天皇)し日本を統治した、という記述がある(古事記、日本書紀共に解釈の違いあり)。
・・・と、まぁ古代神話の記述の信憑性はさておき(^^ゞ、とりあえずは日本の歴史に少なからず関わりがあるのだ。
では、なぜにサッカーとカラスなのか?というと、実際のところ明確な由来は定かではないらしい。
八咫烏自体が上記の神話内容に関わっている事から、「日本を勝利に導く」「サッカー界の繁栄に導く」
という「縁担ぎ」的な意味合いがあるようである。
(サッカー協会設立当初のメンバーに熊野出身の理事がいたらしく、それらも影響しているとの説もあり)
ちなみに、エンブレムに描かれている赤線は「日の丸の赤、世界への道」を意味し、
周りの黄色は「太陽からの光、公正(フェアプレイ精神)」を表現しているんだとか。
代表のユニフォームの色「青」は、しばしば「なぜ日の丸=赤ではないのか?」との話も聞くが、
「四方を取り囲み国土を象徴する海の色」をイメージしているらしい。
(明確な由来は不明、ちなみにイタリア代表が青いのも、日本同様海(地中海)の意味)
キャラクターのカラス兄弟にも、名前と意味があり
「左)熱い闘志を意味する兄カラッペ 右)友好を意味する弟カララ」
・・・もちっと、締まりのいい名前にしてほしかったものである(笑)。
前置きが長くなったが、今回の旅はこの八咫烏への
開幕間近に迫ったサッカーワールドカップの成功と、我らが日本代表の必勝祈願である。
目的地は八咫烏をシンボルマークとする熊野本宮と、そのものズバリ八咫烏神社だ!
予定出発時間をいつもの通り(^^ゞ少し遅れて出発。
奈良へ向かうのであれば、少し観光もしたいので時間稼ぎに東名〜東名阪を走る。
でも東名〜東名阪って、名古屋市郊外をグルリと迂回するので実際にはあんまり時間稼ぎできないんだよね(^^ゞ。
まぁ、その分渋滞などの計算がしやすいのがあるんだけど。。。
久しぶりに走る東名は着々と第二東名・名神の工事が進んでいるようである。

順調に突き進み、東名阪を出て道の駅・関宿で休憩。
R1は鬼のように混んでいた(^^ゞ。。。ここまで高速使って正解だったかもしれない。
普段ならここでR25バイパスの西名阪道路を使うのだが、もう散々高速は走ったのでお腹一杯である(笑)。
まだようやく日も上がり始め、気温も上がった頃なのでR25の旧道をノンビリ走る。
R25の旧道は過去2回走った事があるが、亀山方面から入ってすぐのところ(加太(かぶと)峠)は山深く、
戦国時代に本能寺の変が起こった際、堺から徳川家康が命からがら三河岡崎まで逃げ延び、
後に「神君伊賀越え」と言われた舞台そのものである。

加太峠を抜けると一気に視界が開け、右手に甲賀、正面に伊賀(上野)の里を望む(画像右側が西名阪道)。
決して整備された走りやすい道路ではないが、たまにはこういうのもいいもんである。
家康はこの道中(堺から三河まで)2日で通過したと伝わるが、当時の事情を考えると・・・(^^ゞ。
色々な文献が残っており諸説あるが、実際の行程は4〜5日ほどと言われ、各種伝達は
伊賀忍衆頭領として有名な服部半蔵正成を筆頭に、伊賀、甲賀の忍者300名余りが総動員されたらしい。
くまんぼ号は最大の難関と言われた峠越えをわずか数分である(笑)文明万歳♪

あれよあれよという間に、上野に到着。とりあえずは、上野城で一息入れるのだ。
上野はワールドカップ参加国・南アフリカ共和国のキャンプ地なので、こんなノボリが各地にたくさんある。
うちの彼女に「今、上野で休憩中」と連絡したら、「なぜ東京の上野に居るんだ?」と疑問に思ったらしい(笑)。
「伊賀上野」は地域の総称であって、ここは上野市だぞ(笑)。隣町が伊賀町だ。
もっとも「うえの」で連想されるのは、やはり「西郷さんの上野」であって、
ここは「伊賀上野」というイメージの方が定着してるとは思うが・・・(笑)。
でも実は、東京の上野はここの地名が移った、という説もあるらしい。

上野城(伊賀上野城)
戦国末期から江戸初期において活躍した築城の名手として名高い、藤堂高虎の手によるもの。
元は筒井氏が収めていた城があったらしいが、そこを改築して現在の規模になったらしい。
かなり立派だが、これでも津の支城というから驚きである。
天守閣は3層だが、築城当時は5層だったらしい。
しかし、完成直前に天災により崩壊、結局以後300年間天守は建てられなかったそうだ。
そういう意味では、いわゆる「模造天守(存在しなかったものをムリヤリ建立した天守閣)」とも言えなくもないが、
なんと現在ある天守は近年になり個人の投資で作られた、というから再び驚きである。

日本一とも言われる高さ30mの本丸石垣が自慢。
右画像は上から覗き込んだものだが、手すりなどないので下手したら落ちちゃうのだ。。。( ̄∇ ̄;
事故など起きた事ないんだろうか?

いざ天守へ
中は・・・個人的にはそそられるものなし(^^ゞ。 秀吉拝領と伝わる、藤堂高虎の兜ぐらいのものかな。

天守からの上野の町並みを眺める。
ちなみに築城に関わった藤堂高虎は、他にも大坂城、名古屋城、江戸城にも関わっている戦国武将。
その昔、高虎が戦に行く道中の餅屋で「腹が減ったが金が無い」と言ったところ、
餅屋の主人が「戦で頑張ってくれ」と無料で餅を食わせてくれた事があったそうな。
その後、城持ち大名になった高虎は、再びその餅屋を訪問し
「いつぞやは助かった、おかげで今では城持ちになった」と感謝の意を述べ、当時の餅代を支払ったらしい。
この逸話が「出世払い」の語源・由来になったそうだよ。
今度から餅は買わずに、「金がない」で決まりだな、こりゃ((爆))。

とにもかくにも忍者で有名な上野だが、松尾芭蕉の生誕地としても有名。
上野公園内には俳聖殿と呼ばれる塔がひっそり建っている。
中には等身大の芭蕉像が安置されていた。
せっかくの旅だ、一句詠むか・・・と思うも、「柿食えば
鐘が鳴るなり 法隆寺」しか思い浮かばん(自爆)。
全然法隆寺じゃないし(^^ゞ、そもそも人の句だし(^^ゞ、何より芭蕉の句じゃないし(^^ゞ。。。
自分のおろかさに改めて気付き、ちとヘコむ。。。(ーー;)

忍者屋敷も公園内にある。
中は有料で、今回は覗かなかった。隣には手裏剣の的が・・・((爆))。

入らなかった理由のひとつがこれ(笑)。 忍者ダレるの図・・・(ーー;)。
「くノ一乱れるの図」であれば考えは変わったかもしれんが・・・((爆))。
この頃になると日差しも強くなり、かなり暑い。。。まぁ忍者がダレるのも分からんでもない天気である。
そして上野を後にし、R422からR165で奈良県宇陀郡を目指す。

目指す、といってもたかがしれた距離なんだが・・・(^^ゞ。
あっ、というまに奈良県突入、宇陀へ。
少し道に迷いつつ本日のメイン目的地、八咫烏神社に到着。

八咫烏神社
祭神は、建角身命(タケツノミノミコト)
黒装束に身を包み、木から木へ飛び移り神武天皇より「カラスの化身」との称号を賜ったそうだ。
言ってみれば、八咫烏伝説のモデルとも言えよう。

拝殿は最近作られたのか、なんだか異様に新しい(^^ゞ。奥に赤く見えるのが本殿。
拝殿横には、神社には似つかわしくない(?)サッカーボールを頭上にのせた八咫烏のオブジェが!(笑)
社務の人も、サッカーファンの参拝者は非常に多いと言っていた。
正直ミーハーっぽい雰囲気の神社ではあるが、くまんぼのような参拝者の訪問も要因のひとつなんだろうな。。。
但し、ミーハーっぽいとはいえ、705年に天武天皇により熊野本宮より分配され
建立されたらしいので、やはり由緒ある神社である。
約1300年もの歴史がありながら、そういう雰囲気を感じさせないところが、なんだか残念。

とりあえず交通安全のお守りをゲット(笑)。 サッカーお守りはさすがになかった(笑)。
どうにか無事お参りをすませて、次はノンビリ観光タイムである。
まぁ、いつもノンビリしてるんだが・・・(自爆)。
奈良なので色々見るものはあるのだが・・・とりあえずひとつだけ行きたい所があるので、そこに向かう。
飛鳥(現・明日香)だ。

ウロチョロしてるところに見かけた「水落跡地」。
なんでも藤原鎌足が発明した「水時計」があったと考えられているらしい。

飛鳥寺
正式には飛鳥寺跡地である。
日本最古の寺院と言われ、現在の本堂には日本最古の大仏が安置してある。
日本初のクーデター・大化の改新で中大兄皇子と藤原鎌足が陣を張った事でも有名。
右画像の3つの石は、当時ここに建っていた塔の礎石だそうだ。

飛鳥寺西門跡
来たかったのはここである。左画像の画面中央部分がその西門跡地で、奥に見えるのが飛鳥寺跡の現本堂。
なんと土管を繋いだ上水道などが見つかり、当時は噴水があったと言われてるらしい。
左画像手前(右画像)にあるのは、大化の改新で暗殺された当時の権力者・蘇我入鹿の首塚である。
実際に殺されたのは、ここから少し離れた板蓋宮跡地と言われるが、はねられた首がここまで飛んできて
なおも中大兄皇子を噛みつこうとしたという伝説が残り、その供養のために建てられたらしい。
コワイ話は置いといて(^^ゞ、なにゆえここに来たかったかというと・・・
ここはかつて「蹴鞠」で有名な舞台だったらしい。
中大兄皇子と藤原鎌足も、ここで蹴鞠を通じて知り合ったとされる。
蹴鞠と言えば・・・足で蹴る=サッカーではないか((爆)) ←超強引
日本サッカーの歴史に触れた瞬間である(自爆)。
ま、実際に蹴鞠をサッカーの起源とする説もあるわけで(^^ゞ、同時にここを
「日本サッカー発祥の地」とする説があるのも事実である(ほとんど認められていないが(^^ゞ)。
ちなみに「日本サッカー発祥の地」は、
神戸説 =
明治20年に公式行事として「蹴鞠」が開催された記録が残る
横浜説 =
明治21年に神戸と横浜の在日外国人チームの対抗戦が始めて開催された
と諸説あり、なぜか神戸説が一般的である・・・蹴鞠だけど(笑)。
ついでに言うと、「日本サッカー御三家」は埼玉浦和市(現さいたま市)、静岡藤枝市、広島広島市である。
さて次はどこに行こうか・・・と思ったが、なにぶん色んな遺跡があるところだけに
ツーリングマップルでは細かいところが分からないのが残念である。。。
もちっと勉強しとくのであった。。。(ーー;)。
近くの案内板を簡単に見て、とりあえずアクセスしやすい?であろう場所に赴く事にする。

石舞台古墳
飛鳥遺跡の代名詞ともいえる有名な古墳。
墓だし、石が詰まれてるだけじゃねーか、と言われればそれまでだが・・・(笑)。
路上に出てる案内板とかが分かりやすかったんだよ(自爆)。

・・・とは言うものの、こんなバカでかい石をどうやって積み上げたんだか・・・

中は高さ4.7m、奥行き約7.7m、幅約3.6m。広いか?狭いか?
石の重さは推定70t超らしい(^^ゞ。。。ひんやりしてて気持ちいいよ。

少し離れると土が盛ってあって古墳らしいが・・・
実はこれらは復元されて作られたもので、発掘調査が始まるまでこの辺りは田んぼだったらしい。
その当時から上の石だけは表に突出していたそうだ(笑)。
当然元々は全部土に埋もれていたと思われるが、なぜ上だけ石が出ていたのかは不明。
また石棺なども発見されず、埋葬者も不明。
左画像の石棺は「たぶんこんなのが納まってたんじゃないの?」って作られた石棺。

酒船石遺跡
比較的最近発見された遺跡で、ニュースなどでご存知の方も多かろう。
「亀石造形物」と呼ばれるもので、何の目的なんだかサッパリわけわかめである(^^ゞ。
でも確かに亀っぽいのが、なんだか笑える(笑)。
現在では発掘調査も一段落し、遺構は埋め戻され公園として整備されてる。

そこからトボトボ小高い丘を登っていくと・・・石垣がある。
実は日本書紀に「船200隻で石を運び、人夫10万人余りで宮の東に石垣を築く」という記述があり、
そんな時代にそんなバカな〜、と歴史学者ですら半信半疑であったのだが、この石垣、前述の亀石造形物の
発見により、学者もビックリ仰天。その記述の場所こそここではないか、と言われている。

こちらが、本家本元(?)の酒船石
発見当初から部分欠損しており(右画像・小さな四角は石を切り取る時のクサビ跡)、こちらも
何のために作られたのか、誰が切り取ったのか一切不明。
そういや、漫画「三つ目がとおる」では、この遺跡で写楽が何か作ってたな(笑)。

前後するが、これが酒船石遺跡の全景。
画面ほぼ中央付近に亀石造形物、酒船石は丘の頂上付近(竹林の中)にある。

あちらこちらに有名無名な遺跡がゴロゴロしており、ウロウロしてると色んな看板があり、
板蓋宮(いたぶきのみや)遺跡跡地(左)や、聖徳太子生誕地碑(右)なんかが突然現れる。
板蓋宮遺跡はかつての権力者蘇我入鹿の政治拠点、言うまでもなく、大化の改新の蘇我入鹿暗殺現場であり
ここから前述した飛鳥寺西門跡地に首が飛んだというわけだ・・・伝説だが。
しかしながら、板蓋宮については今をもってその所在地が明らかでない。
この遺跡も度重なる調査の末、確証が得られず「たぶんここだろう」という事で調査が打ち切られたらしい。
色々廻りたいのだが、時間も時間なので(暗くなのがイヤ)少し移動を始める。
ルートを確認し進み始めると、壁画で有名な高松塚古墳の案内板を見つけ、立ち寄る。

高松塚古墳
埋葬者不明、近代になり壁画が発見され学校の教科書などでもお馴染みである。
付近一帯は公園として整備されているが、駐車場から結構歩かされる。
植樹されているので、「古墳」という感じがせず(^^ゞ、下手すりゃ通り過ぎそうである。

正面に廻ると、一転なにやら物々しい雰囲気に一変。。。
内部の壁画保護のために、温度湿度を一定に保つ為に機械室が埋め込まれているらしい。
・・・なんだか無理矢理ショッカーに改造された改造人間のようで、ちょっと痛々しい雰囲気(^^ゞ。
隣に隣接された壁画館で、壁画のレプリカが見れるのだが・・・閉まってた。。。

中尾山古墳
埋葬者不明、高松塚古墳公園と同じ敷地内にあるが、こちらはひっそりしてる。
当時としては珍しく埋葬者は火葬されていたらしい。
人気の無い静まり返った公園でまったりして(ちゅーか歩き回って)、
日も沈みかけたのでちょっと早いが宿泊先に向かう。
今回の宿は奈良橿原の健康ランドだ。
高松塚古墳から少し走れば到着。
到着後、くまんぼ号を見ると・・・割れていたリアカウルの一部がもげて落ちてるではないか・・・(+_+)。
振動で落ちたんだろうなぁ、かっこワルっ。。。穴開いてるし。。。しくしく
到着後、マスターDさんに「毎度コール」をし「襲撃掛けるなら来やがれ!」と言ったら、
「まずはこっちに挨拶にこんかい!」と切り返され、ごめんなさいと謝る(自爆)。
その後お風呂でゆったりして、早めに就寝。
よくよく考えたら、今回はほとんど迷子にならずにすんだのである。
明日もこんなならいいなぁ、、、と夢の中。

健康ランドでは、なぜか白熊の剥製がお出迎え((爆))