伊奈城 & 足助城
2002・5・27

今回はいつものツーリングと違って約束時間もないので、起床後体調をみて(←ここがショボイ(^^ゞ)9時に出発。
とりあえずは、バイパスを使い流れがよければ、10分あれば行けるような伊奈城へ向かう(^^ゞ。

伊奈(いな)城
織田信長なんかが生まれる80年ほど前に、この地を支配していた本多氏が築城した城。
初代から7代まで約150年間居城、8代目より下総(千葉)へ移ったらしい。
周辺は開拓され田んぼしかなく、すぐ脇を東海道新幹線で寸断されているので、当時の面影を知る事はできない。
本多氏とは、後に徳川家康の側近として著名な本多忠勝や本多正信と同族で、のち「伊奈本多家」と称した。
三河一円を支配していたのは、もちろん松平家(後の徳川直系)で、この時期の頭領は徳川家康の祖父・清康。

  

堀をイメージした池があるが・・・ちと汚い(^^ゞ。。。
埋まってる木は、実際に発掘作業で確認された逆茂木(さかもぎ=バリケード)の復元模型。
驚いた事にこの逆茂木、「跡」ではなく、この形そのまんまで出土したらしい。

    

現在は平地にポツンとあるので、なんだか寂しい感じ。
当時の雰囲気っぽく櫓(やぐら)が復元されてるが、こんな不自然な位置には建ってなかったはずである(笑)。
しかも登れないし・・・(^^ゞ せめて登れるようにしてくれい。
かろうじて土塁(盛り土)が残っている程度(右画像)。 カラスがたくさんいてうるさい(笑)。

生念台跡
発掘調査で、多数の火葬人骨や束ねた六文銭などが発見され死者を弔う場所であったと推測されるらしい。
ちなみに六文銭は三途の川の通行料。
真田幸村で有名な真田家の旗印も六文銭だが、「戦いに掛ける決意=常に死を覚悟する」を意する。

  

ちょっと裏手に廻ると・・・牛がいた(笑)。 牧場って・・・(^^ゞ。

裏手からの伊奈城址。
遺構保護目的のものと思われる石垣が積んである。 ただ土塁が残ってるだけが救い。かなり高い。

城マニアとしては、物足りないがまぁ仕方あるまい。。。
確かに田んぼの真中にポツリとあるとはいえ、近辺は開拓されているのでこういう形ですら残ってる事を
むしろ喜ぶべきかもしれないな。。。も少しなんとかしてほしい気もするが(笑)。

この場所からほど近い場所に、「花ヶ池」というのがある。
新幹線の高架をくぐってすぐなのだが、元々その場所は城内にあった池らしい。
当たり前だが、仮にもお殿様が住んでたのでやはり広大な敷地だったようである。

花ヶ池
城址とは新幹線を挟んで反対側にある。何も案内板などないので知らない人も多いかも。
一応「花ヶ池公園」となっているが、ご覧のように何もない。
なにゆえこんな場所が残っているかというと、あの徳川家の家紋で有名な「三つ葉葵」紋章発祥の地らしい。

元々、「双葉」や「三つ葉」など「葵の紋」は古くより多くの一族が使用していたようで、
伊奈城主本多家もデザインは違うものの「三つ葉葵」の紋である。
家康の祖父・松平清康が吉田攻め(現在の豊橋)の際、同行し先陣を務め見事吉田を攻め落とした
伊奈城主・本多正忠が清康を城に招き、この池にあった葵の葉で祝酒を差し出したところ大変喜び、
(古くから葵の葉で振舞う事は、これ以上ない最高ランクだったとされたらしい)
それ以降、松平家の家紋に本多家の「立ち葵」を使用し、それが後にデザインを変更し
あの「三つ葉葵」の元になった・・・というらしい。
真偽の程は定かではないが、自宅の近所にそんな話があるとは、そこそこ興味深い話ではある。
(一応古文書に上記内容の文献が残っているが、徳川家の紋章由来については諸説あり)

ちなみに、ご存知の方も多かろうが「三つ葉葵」は権威ある紋章として使用が厳しく制限されており、
(だから、黄門様が紋所を見せるだけで無敵なのだ(笑))
尾張・紀伊・水戸の御三家、会津・越後の松平家、松平家の始祖・奥平家にしか許されていなかった。
本多家など徳川家・松平家と縁の深い親藩系統には「似たような」デザインは許されたそうだが、
「将軍家直系」と同じモノは、やはり限られた家にしか使われていない。
くまんぼだったら「縁があるんだからうちにも使わせろや!」とゴネて、家を潰される事は必死である(自爆)。

    

で・・・これが現在の花ヶ池である・・・。
お世辞にも、日本で最も有名な家紋であろう三つ葉葵発祥の地、という雰囲気は感じられない(^^ゞ。
しかも、三つ葉葵が見当たらないというトホホっぷりである。。。( ̄∇ ̄;

城址から近いところにある、伊奈城主の墓所もあるが一般開放はされていない。

何だかんだと文句を言いつつ、小1時間ほど散策してるんだから、我ながら相当なヒマ人である(自爆)。
そろそろ先を急ぐのである。

R1〜R473をひた走る。 延々と何もない山道をトボトボ進むのだが、よくよく考えたらすぐ近所は岡崎だ。
愛知というのは本当に山が多いという事を実感させられる。

少し走ると、なにやら目前に異様にデカイ木を発見し案内板を見てみる。

寺野の大楠
高さ36m、幹周り12m、根周り27m、推定樹齢1000年以上らしい(^^ゞ。
これでも県下3番目の大きさというのに、更に驚いた(笑)。 ちょっと恐怖すら感じる巨大さである。

    

とてもその大きさを表現できませぬ。。。近くに寄りすぎですな(自爆)。
ちなみに左画像の案内板が、ほぼ人間の高さ(150cmぐらい)。。。(^^ゞ
崖の上に立っているので、尚の事大きく感じる。

更に突き進むと何もないところに、須佐之男神社を発見!
由緒書きがなかったが、もちろん祭神はスサノオのはずなので(この名で違う事はなかろう(笑))、
ワールドカップ日本代表必勝祈願の為に立ち寄る。

これだけお願いして、にっちもさっちもいかなかったら、寝込んでしまうかもしれない(笑)。

その後、こんな景色を眺めながらトボトボ進むと温泉発見。
手持ちの地図には載っていないので、最近出来たのか、或いは紹介されるほどのものでもないのか・・・(^^ゞ。
ちょうどお昼時でもあったので、休憩がてら立ち寄ってみる。
(休憩するほど走ってないんだけどね(自爆))

  

狐塚・せせらぎ温泉
民宿のようで、入浴料800円と高め。 お風呂も小さく4〜5人で一杯になるであろう。

露天もあるけど小さい(^^ゞ。 周りが覆われていて外が見えないのが残念。
内湯(檜風呂)の方が檜の香りがしてて気持ちいいくらい(笑)。
ただ、普段健康ランドとか人がたくさん居るトコにいくので、逆にこういうこじんまりした雰囲気も悪くはない。

  

お風呂からあがってお座敷で休憩。
道を挟んで向こう側には川が流れ、水の音がよく聞こえて気持ちいい。
店の屋号でもある「狐塚」は、この辺りの地名でもあるらしく、その昔白いキツネのたたりを静める為に
塚を作った事に由来するらしい。 座敷には、鳥を咥えた白キツネの剥製。
キツネの毛は人工的に色付けられたものだろうが、剥製になってまでもキツネに食われる鳥は憐れである(^^ゞ。

あまご塩焼き定食
1300円、ちとこちらも値が張るが(^^ゞ、んまかったから許す♪

    

結構顔が怖い(^^ゞ。。。ゴマ豆腐はモチモチの食感で美味♪
ワサビが強烈に効いてて泣きまくり(自爆)。

しばらくノンビリ過ごした後、再び出発進行。
数km行ったところに「羽布城」なる案内板を発見。あんま聞かない名前である。

  

羽布(はぶ)城
案内板によれば、築城者・歴代城主など詳細不明らしい。
かなり山の中腹にあり、植樹されている事もあり下から見上げてもその雰囲気を感じられない。
まさに歴史に埋もれた場所で、ちとワクワクしたのだが・・・ご覧の有様。途中で道を見失いかけないので断念。
昔はこんなとこをザクザクとバイクで突き進んだものだが、さすがにくまんぼ号では・・・(^^ゞ。
草木が枯れた冬場にでも再度チャレンジしてみたいものだ。
(ちゅーか基本的に、こんな時期に山に入る方が間違ってる(自爆))

入り口だけで羽布城址から撤退し(^^ゞ、再び歩を進めR420に合流。
しばらく走ると足助到着だが・・・目的地の城跡がどこだか・・・付近を歩いていた人に道を聞く。
あったあった。一応看板があるんだが、小さくて見落としていたようだ(^^ゞ。。。

  

足助(あすけ)城
平安時代末期より存在していたといわれる古城。
鎌倉時代にこの地域を治めていた足助氏が、この地域の名称の由来。
三河(岡崎)、尾張(名古屋)、美濃(岐阜)、信濃(長野松本)への各街道へ繋がる付近に位置し
戦国時代には松平、今川、武田の各将が争奪戦が繰り広げられた要所でもある。
後、再び松平(徳川)の支配下に収まり、江戸以降廃城。

典型的な山城砦で、先だって訪問した仙台城のように存在しなかった城郭を観光目当てで建築する風潮がある中、
発掘調査を元に忠実に復刻再建され、当時の雰囲気を感じられる日本でも珍しい城である。
(ちなみに仙台城は、最近発掘された石垣跡など一部が国史跡に指定され、城郭建設計画が凍結中(^^ゞ)
入場料300円が必要だが、それも納得。

大手門跡の砦(上右)をくぐり少し歩くと、目前が一気に開け大きな曲輪(くるわ)が見え、
その上に物見櫓(ものみやぐら)が見える。。。城マニアにしか分からんだろうが(^^ゞ圧巻である。
400年前には急報を告げる伝達部隊が「伝令ーーーっ!!!」とか言いながら・・・
或いは、攻め入った足軽が「うわーーーーーっ!!!」と叫びながら、この姿を見たのかと思うと・・・燃える(笑)。
当然ながら眺めがいいのはここだけで(笑)、この先山の中へ入っていく。

    

あくまで天然地形を利用した要塞的意味合いの「山城」なので、基本的に山道をトボトボ歩く。
「マムシ注意!」の看板が目を引くが(^^ゞ、整備されているので歩きやすい。
あ・・・歩きやすいからこそ「注意」なのか(自爆)。 中画像は井戸跡、右画像は西物見櫓。

  

西物見櫓(にしものみやぐら)
俗に「西の丸」とか「二の丸(或いは三の丸など)」などと言われる場所。
ちょっとした広場になっており、戦時にはここに兵を置き敵の侵入を防いだ。
通常建物を建てる場所には「礎石」という大きな石を埋め、その上に柱を建てるのだが、この城郭からは
一部を除いて礎石が見つからず、「掘っ建て柱」という直接柱を埋め込む原始的な手法で建てられたらしい。
この櫓(ここにある建造物全て)も、当時と同じ手法で建てられているそうで、クギの代わりに竹を使う
(実際に発掘されたそうだ)というから、そのこだわりはすごいものである。 登れないのが残念。
柵にも金属類は使われず、全て組み紐により建てられている。

    

西の丸を撃破したくまんぼは、更に登城

    

途中に現れたのは「南の丸(厨・くりや跡)」。
入り口は「はねあげ戸」と呼ばれる上に押し上げる柵。
この場所は先の西の丸と違い、釜戸跡などが見つかった事から、いわゆる「台所」「食堂」だったらしい。
修復してるのは釜戸跡。
ここで直してる人は、みな足助教育委員会のメンバーだそうで、
以後おじさんがガイドとして、くまんぼの家来になり足助城の歴史などを事細かく教えてくれた(笑)。

厨跡の内部。 靴を脱いで立ち入り可能。好天にも関わらず、内部は暗い。昔の人は大変である。。。

南物見櫓
最初の画像で目前に飛び込んできたのがこれである。
当然ながら、殿様がいる本丸はまだ先。攻め込むのも大変だ、こりゃ。。。改めて実感。
手前に見える橋も、その痕跡が見つかったそうで、こちらも忠実に再現。

  

登る事は不可能だが、それでも切り立った高台にあるので眺めはいい。さすが物見、である。
下に見える屋根が厨跡で、屋根にのっている石は実際に発掘されたものをそのまんま使ってるそうだ!

    

南の丸も撃破し、いよいよ本丸へ・・・あとは大将の首を頂くだけである(笑)。
本丸手前には「長屋」と呼ばれる建造物がある。 倉庫とも、兵士の詰め所とも言われるが詳細は不明。
この辺りになると一部「クギ」が使われているが、家来(←ガイドのおじさん)の話によると
現在使われている「丸クギ」より原始的な、「角クギ」という断面が四角いものを使っているそうだ。
この方が木材との相性がいいらしく(食い込む)、実際に発掘された事から、なんとわざわざ製鉄所にオーダーして
同じ大きさ・形のものを特注で製作してもらい使っているとの事。 ちとコリすぎ(笑)。
内部はかなり狭く、「意外と狭いものよのぉ・・・」と漏らすと、
「わしの身長が徳川家綱公とほぼ同じだて、昔の人にはちょうどよかったんかもしれんのぉ」と言われる。
おいおい(^^ゞ。。。家綱って、これまたマイナーな・・・(笑) 知ってる人少ないだろ(笑)。(ちなみに江戸4代将軍)
・・・などと考えていたら、そそくさと家来は本丸へ向かってしまった(笑)。 置いてかないでくれぃ〜

    

いよいよ本丸到着。 建物は「高櫓(たかやぐら)」と呼ばれ、まぁ俗に言う天守閣である。
内部は靴を脱いで入ることができる。
左が広間で、軍議などが行われた場所。その左奥の暗い部分が、いわゆる「上段」。殿様専用の居間である。
当時は限られた者しか入ることができなかったらしいが、今ではフリーパスである(笑)。(中)
右は厠(かわや)跡で、殿様専用のトイレ。「覗き見可、使用不可」の看板がある(笑)。

  

更に階段を上ると座敷があり、接待などで使われたと考えられるらしい。
説明板などもあり、発掘調査により明らかになった遺構跡の航空写真も。右側が今居る本丸(高櫓)。
ちなみに平安〜鎌倉時代の遺構跡は、この更に下に埋もれていると思われ、未発掘。
復刻したのは、当然ながら戦国期のものである。

  

尾張(名古屋)方面の眺め。眼下には足助の町並みと飯田街道(R153)。
左手あたりが紅葉で有名な香嵐渓で、この辺りはシーズンになるとクルマでごったがえす。
本丸(高櫓)全景は位置的に撮影が難しい。
逆に言えば、容易に本丸の位置を下から見上げれないという事=山城砦の特徴が非常によく現れていると言えよう。
すぐ近くには某国営放送の電波鉄塔が建っており(笑)、ちょっと邪魔くさい。。。
大規模な発掘調査以前に建てられたもので、実際の本丸は数m後方、すなわち鉄塔の付近にあったのだが、
さすがに「鉄塔どかせ!」とは言えず、やむなく若干位置をズラして建築したらしい。
家来おじさんは、「無念ぢゃ・・・口惜しや」と恨み節をくまんぼに投げかけるが、そう言われてもこっちも困る(^^ゞ。

    

ひとしきり堪能した後、下城。
下城ルートは観光の為に別途専用のものが作られ、そこから数分で駐車場まで戻れる。
しかしよく見ると、現在あまり手の加えられていない土塁の後などが確認できる。

家来おじさんはこの近くで生まれ育ち、今は修復活動に従事しているらしい。
途中の案内板が小さく、これだけ規模が大きく、素晴らしい遺構だけにもっと宣伝してもいいのでは?との問いかけに
「保存会でもそういう話がある。しかし宣伝することにより遺構の破損の恐れもあるし・・・なんとも難しい問題」
と、急に元気がなくなってしまった(^^ゞ。。。
確かに木造建築だけに、心無い落書きやイタズラの心配はあるし、ゴミなどの問題もあるよな。。。
町の遺産を保存し、多くの人に見て感じてもらいたいと思う反面、それらを傷付けられるのが心苦しいんだろう。
しかし、「訪問する人が少なくても、ここはどこよりも立派だと胸を張って言えるぞ」と笑うおじさん。
確かにド派手な天守をこしらえた城郭とは、一味も二味も違う素晴らしいところである。
近くにお越しの際には、是非とも立ち寄ってほしいところである。

「この辺り昔は何にもなくてなぁ・・・ほれ、あそこからここまで登ってな・・・よく遊んだもんぢゃ・・・」

最後に町並みを見ながらボソッと、どこか寂しげにつぶやく家来おじさんに別れを告げ、再び出発進行。
目指すは長篠である。

  

R420をひたすら走り、途中突然現れた茶農家でここのところお馴染みになってるお茶ゲット!

1.伊奈城址 宝飯郡小坂井町伊奈
  R23に案内板あり。新幹線高架裏手に花ヶ池。
2.寺野の大楠 額田郡額田町寺野
  R473沿い。駐車場あるが道狭く急坂。
3.狐塚せせらぎ温泉 東加茂郡下山村和合
  R473沿い。tel.0564−86−2234
  羽布城址 東加茂郡下山村羽布付近(詳細不明)
  R473沿い、集落の郵便局付近に説明板と案内板。
4.足助城址
 東加茂郡足助町足助
  R420に小さな案内板。R153との交差地点近く。

5.千枚田 南設楽郡鳳来町松下付近一帯
6.長篠城址 南設楽郡鳳来町篠市場
7.野田城址 新城市豊島本城

5、6、7は別項 → こちら

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