牟呂城 & 大崎城
2001年と最近訪問したものを編集
くまんぼ居住地の豊橋は、岡崎〜浜松(当時の三河〜遠江)の中間点であった事・・・
などから、結構古くから領地争奪戦が繰り広げられていたようである。
元々、この近辺(愛知東部)を本格的に統治しだしたのは足利室町幕府の命令で14世紀頃らしく、
勢力分布は、現在の豊橋市に鵜殿氏、宝飯郡に一色氏、牧野氏、作手村に奥平氏、菅沼氏、
八名郡に西郷氏、新城市に設楽氏、富永氏、田原町に戸田氏 という一族が収めていたらしい。
そのうち、領土拡大の抗争が始まり、急速に勢力を伸ばした松平氏(後の徳川直系)、今川氏、
更には甲斐武田までも巻き込んでしまったので、ちと順を追うとかなりややこしいので(^^ゞ詳細は割愛する。
まぁ、とにかく今回訪問した牟呂は、鵜殿氏が収めていたのである。

牟呂(むろ)城
豊橋市牟呂町公文
くまんぼ邸からクルマで15分ほどのところである。
築城、廃城ともに詳細不明だが、近所に鵜殿氏屋敷跡もあり、地名も残っていることから長い間統治していた模様。
1562年に現在の蒲郡付近で、鵜殿氏が家康に攻め込まれた、との記録が残っている。
それ以降は家康が三河全土を統治しているので、江戸直前まで残っていたかもしれない。
今はご覧のように、静かな住宅地に囲まれ当時の様子を知ることはできない。

小さな祠があるだけで、説明文などもない。
鳥居の側にある「鵜殿兵庫之城」という小さな石碑だけが、城跡の証。

少し横にずれると、極々わずかに土塁の跡を残す
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大崎城
豊橋市船渡町城戸中
くまんぼ邸より、クルマで数分。徒歩でも15分くらいで、近所のコンビニまでよくトボトボ歩いている(笑)。
1518年に田原を治めていた戸田氏が、今橋城(現在の豊橋城)攻めに敗北した直後に築城。
以後、田原領の今橋攻めの前線基地として活躍。 なんと、明治維新まで存続したというから驚きである。
現在は龍源院というお寺の入り口付近に碑があり、恐らく大手門跡と思われる。
土塁跡に大きなイチョウの木があり、県の天然記念物だそうだ。

寺の駐車場裏の竹林をなんとなく覗くと・・・( ̄∇ ̄; めちゃくちゃ遺構が残ってるではないか。。。
すぐ裏手が民家なので、うかつに入るのはマズイかと思い動かなかったが・・・期待が高まる(笑)。
少し近くをウロウロ散策したら、神社の参道を発見!ビンゴ!

幸稲荷神社
たぶん「幸稲荷=さいわいいなり」だと思うが、ちょっと読みが不明。築城当時からあったらしい。
鳥居の隣には、「大崎城の空堀」と書かれた朽ち果てた看板・・・。
雨水などで侵食しているが、その後ろはもちろん土塁跡である。

ご覧のように荒れている。 隅っこには「大崎城本丸之跡」という碑。
その向こうは大きな堀跡で、向こうの山の方が大きいので、もしかしたら本丸跡はそっちかもしれない。

鳥居横の土塁に上ると、まずまずの眺め。
今でこそ民家が建ち並ぶが、当時はかなり遠方まで見渡せたと思われる。

先ほどの碑から、堀跡へ降りてみる。
大きさを比較するものがないのだが、山城跡でここまで大きな堀は珍しいと思う。本当にでかくて深い。
左画像は河口方面(=城の真裏手)、右画像は少し蛇行しながら更に奥へと続いている。

堀を見上げたところ。
右画像に稲荷神社が見える。左画像は稲荷がある山の反対側で、もっと高台にある。

再び上に戻って、鳥居の右側を覗くと・・・こちらも遺構がよく残っている。
ほとんど歴史の表舞台に登場しない、超ローカル城郭であるにも関わらず、
ここまで規模が大きく、保存状態がいいとは・・・正直驚きである。
もう少し涼しくなって、草木の茂みが収まったら再度散策予定。

鳥居横の脇道を進むと・・・城郭の裏手にでる。 沿って歩くとほぼ絶壁になっている。

城郭裏手は河口になっている。向こうに見える木々は近年整備された公園。 その公園の向こう側は工業地帯。
埋め立てにより作られたもので、昔はこの辺り一帯、海だったらしい。

城郭裏手からトボトボ歩き、遊歩道の橋を渡ると公園に行ける。
気候がいい時など、よくバーベキューとか釣りとかやってるよ。
ここをずーっと進むと海=三河湾(豊橋港)。 HP用にくまんぼ号の撮影をしたのもここ。

公園側から、大崎城を見る。 このコンモリしたところ全部城郭なんだから驚く。
もちっと行政で整備してくれるといいのに。。。