琵琶湖周遊 近江4城ネットワークを制覇せよ!
2002・7・27〜28
近江4城ネットワークとはなんぞや? →
信長政権下に琵琶湖の対角線上に築かれた、安土、坂本、長浜、大溝の城

〜 1日目 〜
安土 〜 長浜城 〜 賤ヶ岳古戦場 〜 大溝城 〜 坂本城 〜
大阪市内
ちょうどMOTOちゃんが尾道へ出かけている事もあり、大阪で下道塾のお食事会があるというので出かける。
京都で、うちの彼女への土産にお茶を買いがてら観光でもしようか・・・とも考えたが、
都会は人が多そうなので(笑)今回はパス。 琵琶湖周辺をノンビリ走って大阪入りする事にした。
ルートはR23〜R421を通り、安土へ向かう。 朝っぱらから暑くてヘタれそう。。。

車の往来すらない、森の中をトボトボと突き進む。 途中、ミニ滝(?)がいくつもあるR421。
その分、湧き水などが路面を濡らしてもいるのだが。。。まぁ、涼しいので由としよう。


・・・しばらく行くと、途中でコンクリート壁に囲まれたところに出る。
どうやら2トン車以上は通行禁止のためのバリケード的なものらしいが、ここから見ても明らかに
道の様子が一変してるのが分かり、ちと不安になる。。。 案の定、とんでもない道であった(^^ゞ。。。
クルマ1台がようやく通れるか、というような道幅・・・スレ違ったらどうすんやろか?(^^ゞ

峠を越すと、再び先のバリケードを抜けて1.5車線に戻る。 三重と滋賀の県境、山が深い。。。
えっちらおっちらと森を抜け、八日市市に入り安土を目指す。
今回の目的は、琵琶湖周遊なので、まずは安土城近辺へ。
今回は時間の都合で、安土城へは行かず、近くにある博物館へ出向く。
以前訪問したときに定休日で立ち寄れなかったので、ようやく行く事が出来た。

安土町・文芸の郷
考古博物館とかホールとかが併設されてるよ(画像はセミナリヨ(キリスト教神学校)を模した音楽ホール)。
今回は、この裏手にある「信長の館」を訪問。 朱塗り金箔押しの安土城天守(原寸大)が展示されてるよ。

お土産売場でゲット! 天下布武の印
我ながら、バカげてると思うが・・・欲しかったんだよぉ〜(自爆)。 尚、本来のこの商品の目的は「文鎮」である(^^ゞ。
だ円形、馬のひずめ形、双竜装飾形の3種類あったと言われる印だが、これは初期に使われた「だ円形」を模している。
蒼き流星氏にもお土産で買ってあげたら・・・彼も喜んでいた((爆))。
アホな買い物をしてハイテンションな状態で安土を後にし、琵琶湖畔に沿って走る、周遊道路を北上する。
意外に道が空いており、水辺に近いせいか涼しく快適♪(それでも路上温度計は33度だったが・・・)
途中
『この先、「鳥人間コンテスト」開催の為、7月27〜28日渋滞』
という看板を見つける。
w(゚o゚)w
おぉっ! 鳥人間コンテストって今の時期にやってるのか〜!
・・・と思い道沿いに進むと、「あの」飛び出し台が見えてきた。
でも、まだ始まっていないのか人もまばら(但し道路周辺にはかなり人がいた)だったので、そのまま先を急ぐ。
・・・で、この時なぜか「ビックリ日本新記録」のオープニングテーマが頭の中をグルグル廻っていた(^^ゞ。

長浜城 (滋賀県長浜市)
信長政権近江4城ネットワークの最北端に位置し、信長に仕えて19年後、秀吉が初めて大名となり築城・居城とした事で有名。
(実際には、同じ敷地内に今浜城というものがあったがそれを増改築し、信長から一字もらい「今浜→長浜」に改称したそうだ)
信長が倒れてからは、一時落城したが、再度秀吉が奪取、柴田勝家と覇権を争った賤ヶ岳合戦で前線基地となった。
現在では周囲は埋め立てられ内陸部に城が建つが、当時は琵琶湖に張り出した形で天守台があった水城。
豊家滅亡後は廃城となり、彦根城に移築された為、当時の正確な外観は不明。 現在の天守は最近10億ほどかけて建てられた模擬天守。
但し、館の上に櫓を乗せた初期の天守閣の様子を再現しており好感がもてる・・・10億はかけすぎのような気もするが・・・(^^ゞ。
周囲は「豊公園」として整備され、天守内部は歴史資料館になっている。

天守からの眺め
長浜市街を望み、反対側は琵琶湖を望む・・・風が気持ちいいのだ〜♪

かつて長浜城内にあった太閤井戸と呼ばれる井戸跡。 今では琵琶湖に埋もれている。。。

天守より少し離れた場所に秀吉の像が・・・でも訪れる人が少ないのか、雑草が生い茂る。
ちゅーか、どういう資料から秀吉はこんな顔になったんだろうか?(^^ゞ
確かに最近の研究では「サル顔」ではなく「ネズミ顔」だったのでは・・・と言われているが。
長浜を後にし、浅井に向かうか賤ヶ岳に向かうか悩んだ末、賤ヶ岳へ向かう。
理由は・・・なんとなく涼しそうな感じがしたから(自爆)。

賤ヶ岳(しずがたけ)古戦場 (滋賀県伊香郡木之本町)
本能寺で信長が倒れた後、織田家の家督を決める清洲会議で秀吉が実権を掌握し、それに反目した柴田勝家と対峙した戦い。
戦力などから勝家軍優勢と見られていたが、前田利家など家臣団の裏切りにより戦局は悪化、逃げ落ちた勝家は自害。
勝利した秀吉は、ある意味、織田家を無視した独自の政策・軍策に取り組む事になり、天下人へ一気に昇りつめる事になる。
この戦で秀吉の側近7名が大活躍をし、後世「賤ヶ岳七本槍」として名高い。
事実、駐車場周辺には彼らの旗がひるがえり、ここでは秀吉、勝家を差し置いて彼らが主役である(笑)。

駐車場からすぐに登山道があるのだが、1km強あるようなので、あっさりヘタれる(自爆)。
もちっと涼しくて時間があればいいけどさ。。。
そしてリフトで山頂を目指す・・・が、往復760円・・・しゃーないが・・・高いな・・・(ーー;)。

途中で登山道の上を2回通過するよ♪ 歩いてる人もそこそこいた。
ただ、城郭でもなく遺構があるわけでもないので・・・ちと1kmはキツイぞ。。。

リフト到着〜♪・・・と思ったら、更に300m進まなければならない・・・がくっ

トボトボと山道を進む。 途中、合戦戦没者の慰霊碑。

たかだか300mで、もう汗だくでグッタリである(^^ゞ。。。 銅像もグッタリ(^^ゞ(左)
古戦場跡地といっても、実際に戦闘が行われた場所ではなく、広範囲な周辺一帯が古戦場になる。
この場所は、秀吉が陣を張ったあたり・・・というのが正確。
案内板には各武将の配陣図が明記され、あそこの山に誰々が・・・と分かりやすい。

山頂より、余呉湖を望む。 ちょうど真向かいあたりが柴田勝家が陣を張ったところ。
山頂とはいえ、周囲を山に囲まれてるせいか風がほとんどなく、かなり蒸し暑かった。。。

帰りは町並みを眺めながら、再びリフトで♪

奥琵琶湖ドライブウェイ
古戦場にほど近いところにある、奥琵琶湖ドライブウェイで軽く食事。
その後、国道を外れ、湖畔沿いに走る奥琵琶湖パークウェイを走る。

奥琵琶湖パークウェイ
なんだか雑草刈りをやっていて、ちと走りにくかった・・・路面も段差が多いし。
でも時折見える奥琵琶湖の景色はなかなか♪
展望台は訪問する人も少ないのか、荒れてるし、なにやら謎の動物(タヌキ?)のオブジェが哀愁感を誘う(^^ゞ。
パークウェイを後にしR161に合流、南下開始! 時折見える琵琶湖を眺めながら先を急ぐ。

結局・・・大溝城を探している時に迷子になる(自爆)。
駅の観光案内所で訪ねると、目の前にある病院の駐車場を突っ切って行け!と言われる(^^ゞ。
びょ、病院の駐車場〜? と思ったら、病院の駐車場の奥が公園になっており、「大溝城」って看板がある。
ん〜、なんとも分かりにくいところにあるもんだ(笑)。 でも、なんで駅前にガリバー???(笑)

大溝城 (滋賀県高島郡高島町)
信長近江4城ネットワークのひとつ、安土から見て対岸側に築かれ、4城中おそらく最もマイナー(笑)。
明智光秀の設計とも言われるが確証はない。最初の城主は信長の甥(弟・信行の子)信澄。
本能寺の変直後、光秀の娘婿であった信澄は光秀との関係に疑念をもたれ、否応なしに攻め込まれ自害する。
その後も城は存続し、江戸時代には大溝藩を収め(但し陣屋(大名の宿泊所)として利用された)、明治維新に取り壊されるまで存城。
安土、長浜、坂本は築城わずかで廃城・取り壊しとなっているのに、ここだけ明治維新まで残ったというのもおもしろい。
しかしながら、現在は本丸天守台の石垣が残るのみ。

天守台上には、最近までなにか祭られていたのか・・・祭殿のような跡が残るのみ。

石垣はかなり崩れているが、かなり大型の石が積まれ迫力満点、見ごたえはある。

病院側から見た、天守台全景(左)と、その反対側からの眺め(右)。
当初は名もない城という認識だったが、発掘調査で安土城と同じ屋根瓦などが出土し同年代の築城が確定的に。
それにともない、安土・長浜・坂本各城との位置関係などから、信長政権下で4つの城のネットワークが
行われていたのではないか、という結論に至ったらしい。
安土はもちろんの事、長浜・坂本城もかなり巨大な城郭だったと推測されるだけに、ここも大きな城だったのか?
今ではその影も形もなく、ヒッソリとしている。

琵琶湖水流の池がすぐ近くにあり、当時はここを天然の堀として利用していた事をうかがわせる。
今では埋め立てられ、琵琶湖湖畔からは離れているが、当時は目前が琵琶湖だったんだろう。。。
大溝城を後にし、再び南下を始める。 クルマも少なくペースも快適。
少し行くと、関西の歓楽街として有名な「雄琴温泉」に入る。
オンナ遊びをする余裕はないが(あればするのか?(^^ゞ)、普通にお風呂に入りたい・・・
時間がないので泣く泣く先に進む。。。あー汗だくで気持ち悪い。。。

坂本城 (滋賀県大津市下坂本)
琵琶湖の南端・現在の大津に近い位置に築かれ、明智光秀の居城として有名。
京に最も近く、真裏には信長が焼き討ちで鎮圧した比叡山がそびえる。 光秀が山崎合戦で秀吉に敗れた直後に廃城。
坂本は古くから「穴太衆」と呼ばれる石材加工職人が多く居たところで、この坂本城築城以降、積極的に城郭に石垣が用いられることになる。
現在も坂本には当時の石材加工技術を継承し、多くの城郭の石垣修復などを行っているらしい。
そんな関係から、当時は安土城と同等の規模を持つ城郭だったと言われているが、今ではその名残はほとんど感じられない。
ここも本丸周辺を琵琶湖に張り出した水城で、数年前に琵琶湖が渇水した時に湖底から石垣が出現し話題になった。

ノッペリした平地の公園・・・少し離れた場所に、わずかに石垣の残骸が残るぐらいで少し寂しい。
長い間、「逆賊の居城」という差別を受けていたという話を聞いた事があり、最近になり光秀像が建てられたらしい。
さすがに光秀や城の説明文に「本能寺」の記述はなかった(^^ゞ。。。
しかし・・・この光秀像・・・ちとデフォルメしすぎではないか?(笑)
「逆賊イメージ」を払拭する為に、こんな可愛い姿にしたんやろか? そんな事を気にする時代でもなかろうに・・・。
ここでとりあえず琵琶湖周遊は終了。
慣れない道でもあるし混雑を避ける為に、京都東より名神〜近畿道で大阪を目指す。
・・・でも結局、事故渋滞で混雑してたんだけどね(笑)。


「今日はどこ行ってたんや?」という蒼き流星氏の問いかけに「琵琶湖1周」と答えたら、
「・・・安土か・・・」と即答されてしまい、ぐうの音もでませんでした(自爆)。
ちゅーか、結局、安土城には登城しなかったので「4城ネットワーク攻略」できてないやん(自爆)。
でも、ウケるかどうか不安だった、天下布武印を渡すと、えらく喜んでた流星氏もアホである(笑)。
そして無事、下道塾お食事会も終了♪
眠い目をこすりながら、再び高速に乗り一気に奈良入り。
奈良健康ランドでようやくお風呂に入れて、就寝。
〜 2日目 〜
朝宮 〜 水口岡山城 〜 犬山城
5時半に目が覚めてしまった(^^ゞ。。。ねぼすけにしては珍しく早起き。
今日はまずお茶を入手してから帰路に着く予定なので、あまり早くては都合が悪い。。。
こういう時(時間に余裕がある時)に限って早起きするのってなんでだろ?

奈良健康ランド
8時頃にノソノソと出発。
そういや昨晩、五角ケンちゃんが「明日10時に道の駅大宇陀で待ってるよ〜」って言ってたな・・・。
一瞬、行ってみようかとも思ったが(笑)、やはり今日はノンビリ帰路に着くのだ。
ん〜、しかし今日も朝から暑い。。。(ーー;)
ノンビリのたくたと進んでたのに、あっという間に宇治田原に着いてしまった。
この辺りは緑茶(煎茶)発祥の地と聞いていたのだが・・・意外と国道沿いにお店がない。。。
むぅ、、、やはり少しだけ遠回りして宇治に行った方がよかったかなぁ・・・
・・・と、しばし地図を眺めていたら・・・ジリジリと汗がにじんでくる。
・・・ま、いっか・・・暑いし・・・
そして、くまんぼは先に進むことにした(笑)。
そして少し進んで峠を越えたあたり、信楽焼きで有名な信楽町の少し手前もお茶で有名らしい。
なんでも、ここは日本茶発祥の地だと、ものの本に書いてあった(笑)。
日本茶とか煎茶とか、まぁなんともややこしい話だが、この近辺で栽培が始まったんだろう(たぶん)。

朝宮茶の茶畑
この辺りには茶畑も広がり国道沿いに店も多く、難なくお土産をゲットできた♪
その後、R307をひたすら突き進む。
バイクのツーリンググループに引っかかり、思うようにペースがあげられない。。。しくしく
途中、山城に立ち寄る。

水口古城 (滋賀県甲賀郡水口町)
岡山という山に築かれた事から「岡山城」、江戸時代に築かれた水口城と区別する為に「水口岡山城」とも呼ばれる。
更に、現地の道路案内板には「山城山城」と明記してあった(^^ゞ。。。ちなみに現地の史跡碑(画像)には「岡山城」と記してある。
東海道五十三次の宿場町としても栄えた城下町・水口城が存在するために、そちらの方が有名でこちらは俗称が曖昧なようである。
住所からも分かるように、豊臣秀吉が甲賀忍者などに対抗する為に築かせた連郭式城郭(*)を持つ山城。
関ケ原合戦以後、ふもとに新しい城郭・水口城が築かれ廃城。 新しい水口城下は徳川幕府直轄領になる。
秀吉の側近であり、後の関ケ原西軍総大将・石田三成の初めての居城とも言われるが、確証はない。
現在は城郭跡地一帯が自然歩道、公園になっているが、訪問する人も少ないのか荒れており、遺構もほとんど残っていない。
(*)連郭式=本丸・二の丸・三の丸などを一列に配し、山頂部分を尾根続きで整備した城郭。
城が存在した当時には、各屋敷・櫓などが山頂に連なって見えたはずで、かなり壮大な景色だったと思われる。
MOTOちゃんに「今、岡山城に居るよ」とメールしてやったら、「くまんぼ岡山県出没説」が出てしまった(笑)。
・・・「岡山城」じゃん((爆))、嘘言ってないもんねぇ〜(笑)。

途中までクルマで行けるが、その後は登山道を登る。
かなり距離があり、20分ほどえっちらおっちら・・・
途中、切り開かれた場所に出るが、どうも最近整備されたようで遺構ではないようだ。
もったいない・・・こんなに歩かせるなら、残しとけよ(笑)。

突然現れた「石垣見学コース」なるアーチ。。。 途中で史跡を指し示すものが何もないのに・・・

半信半疑で行ってみると・・・草木に埋もれ、崩れた石垣がわずかに残る。
結局、残っている遺構らしきものはこれだけだった。。。
山全体がほとんど残っているにも関わらず、他の遺構跡(大手門跡とか井戸跡とか)が何もなく寂しい。
ちゃんと発掘調査とかやってから公園化したのかどうか・・・あやしい限りである。

連郭式の城なので、山頂部分は奥に長細い。 本丸とおぼしき場所には、石碑と展望台・・・

んだが、木がジャマでまったく展望できない(^^ゞ。。。ダメぢゃん

実は展望台の下の方が眺めがよかったりする(^^ゞ。。。
しばしボーッと過ごして下山。
再びR307を突き進み、米原でR21へ入り、関ケ原古戦場を尻目に一路岐阜を目指す。
ここでもバイクのツーリンググループに引っかかる。。。(ーー;)
そして岐阜をスルーして犬山へ入った。

犬山城 (愛知県犬山市)
日本最古(*)の現存天守が、400年間そのままの姿で城下を見下ろす国宝。
織田信長の叔父・信康の築城。のち一族紛争で信長が奪取。
以後、城主を変え関ケ原合戦移行、成瀬正成が入って以来、廃藩置県まで成瀬氏9代が犬山藩を収める。
今でもこの城は初代城主・成瀬正成の末裔、成瀬さんの所有物で、日本で唯一個人所有の城としても有名(^^ゞ。。。
現存天守と石垣ぐらいしか遺構らしきものは残っていない(堀は道路になっている(^^ゞ)のが、ちょっと残念。
(*)日本最古の現存天守は福井県・丸岡城とする説もあり。増築など改修を重ねている為、学術的に判断が難しいらしい。

大手道の跡をトボトボと進む。 観光整備され、当時の遺構は礎石が一部残るぐらい。
左画像の曲がり角を曲がると、城まで一直線(右画像)。 左手に見えるのが所有者・成瀬さんのお宅(笑)。

失礼ながら、写真を撮らせてもらいました(^^ゞ。 普通に洗濯物が干してあるところが笑える(^^ゞ。
位置・土地の作りからして二の丸あたりと思われるが、かつては御殿があったのかな?
当時は番兵などが守衛していたであろうが・・・今ではセコムである(笑)。
しかし、文字通り「城持ち」とはスゴイもんである。。。(城周辺の管理自体は犬山市に委託しているらしい)
ちゅーか、こんなところに家があるなんて・・・ほとんどギャグである(笑)。

大手門・・・残念ながら存在した城門とは姿形の違う鉄筋コンクリート(^^ゞ。

大手門をくぐると国宝の3層天守が姿を現す(大手門から先は入場料が必要)。

さすがに極々一部コンクリートで補強してあるが、石垣も見事なもんである。
やけに赤黒い石だが、話を聞くとこのあたりで採掘される特有の石らしい。
(一般的に城郭などの石垣で赤黒いものは焼け跡=火事の跡である事が多い)


内部は暗くて狭い。 当然、エアコンなどもないので少し蒸し暑い(^^ゞ。。。
でも風通しがいいので、出窓の近くに行くと吹き込む風が気持ちいい♪ 左下は上段の間。

彦根城に行った時も思ったが、木造建築というのはスゴイ。
左画像は3階部分の天井。 中央に見える白いスジは板の隙間から差し込む光。

天守からの眺め

事故防止の金網なんかがあるところが多いにも関わらず、ここは剥き出しである。
いや・・・剥き出しは他にもあるにはあるのだが・・・ここは手すりが低い低い(^^ゞ。
174cmのくまんぼで、ヒザの高さしかないので、ちと怖い。
平均身長が低い頃の設計なので、こうなのかな?
犬山城でマッタリすごして、いよいよ帰路に着く。
帰りは疲れたので、東名を使い一気に自宅へ! めずらしく日が高いうちに帰ってこれました(笑)。