山城マニアへの道 〜 Fortress Maniax

タイトルそのまんまである(自爆)。

事の発端と言うか、なぜに今更こないな事を始めたかと言うと・・・
んー、うまく言えないのだが(おいおい)、まぁ色んな所に色んなものがあるよ、と(^^ゞ。
遠くに行かなくても、身近なところにもおもしろいもんあるぢゃん、的なコンセプトです。
でも、名所とか景色がいいとか、ここの食い物はんまいとか、俗に言う穴場とか・・・
悲しいかな、くまんぼはそういう部分をうまく表現できないし(自爆)、感性など人それぞれなので
どうせなら自分の好きなものをアルバム的に残しておこう、というところです、ここは。

ちゅー事なので(何がそういう事なのかは意味不明だが(^^ゞ)、特に「城」にはこだわってはいません。
ただ・・・そういう部分がメインになると思うけど・・・(自爆)。
きっと、うっそうとした草むら画像とか(^^ゞ、文字など多いはずです(^^ゞ。 ご容赦くだされ。

くどいようですが、「昼下がりにブラッと出かけたよ」的なノリです。
まぁ、大都会にお住まいの方など交通事情もあって、逆に簡単に動けないところもあると思いますが、
たまには、フラッと近くの小道などに入り込んで、まったりする・・・なんてのもアリアリではないでしょうか?
また、いつか東海を通りかかった時に「あ、ここは・・・」等と思って頂ければ・・・幸いです。

+++ なお、ここを見て「わしも城行くぜ!」と山に出かけて、事件・事故などに遭遇しても責任もてません。あしからず +++

ちなみに「足軽隊」などと言ってるが、隊員はくまんぼ一人しかいません(^^ゞ。。。
おまけに上の看板は騎馬武者ぢゃねーか、という突っ込みもご勘弁(自爆)。


めんどくせー説明は飛ばして、レポ見る

■ 城って何?
時代により定義は様々だが、基本的に軍事および政治の中心地。 今風にいえば、市役所みたいなもん、という認識でいいと思うよ。
(もしくは、自衛隊の基地や駐屯地、と言う方がイメージしやすいかもしれない(^^ゞ)
一般的な「城」のイメージ、例えば名古屋城・大阪城・姫路城などのように立派なものの多くは
江戸幕府によって、その権力を象徴するもの、として作られたものが多い。
(大阪城などは豊臣政権下、今以上の規模だったらしいが)
 我が足軽隊が攻め落とすのは、群雄割拠の戦国時代などに築かれた城、俗に言う「山城」がメインである。
天然の山肌・地形などを巧みに利用し、更に人工的な手を加えたもので、「砦(とりで)」と呼ばれる事もある。
これら「山城」は、「軍事要塞」的な意味合いが強いため、豪華な天守閣などなく、あくまで「戦」に備えたもの。
徳川家康により天下平定が成し遂げられた際、それら山城の多くは廃城となり今日に至る。
言うなれば「歴史に埋もれた」、ちょっと可哀想な城なのだ。。。
 尚、これらの時代の山城は「軍事用」「政治用(住居用)」に大別され、いわゆる殿様は「住居用」の方に
住まいをもっていて、ドラマなどで信長などが「お館さま(おやかたさま)」などと呼ばれるのは、そのせいだよ。
 また「政治用」は「本城」、「軍事用」は「支城」と呼ばれ、当然城下町などが栄えたのは本城の方。
支城の中には、ある戦闘の為だけに築かれた「一時的な城」も多い。

■ 簡単に専門用語を教えてけれ
・ 曲輪(くるわ)
兵などを置くために、削って平らにしたところ。或いは、役割や機能に応じて区画された区域の総称。
一般的に「本丸」「二の丸」など「〜丸」と称される事が多い。 本丸を頂点に二の丸、三の丸と麓へ下っていく。
だから戦に勝つ為には本丸を攻めなければいけないのだが、守る方は簡単に攻撃されないように曲輪の位置や形状を工夫して築城するのだ。
 
大崎城址の曲輪跡。 上部が平坦で、その周囲を削り取っている様子がよく分かる。

・ 堀(ほり)或いは堀切(ほりきり)
尾根や丘陵の一部を切って作る空堀(=水の入っていない堀)。
 

 
いずれも、野田城址の堀跡。 急激に谷間になっている青い斜線部分が堀。 野田城は土塁が少ない珍しい構造をしている。

・ 土塁(どるい)
土を盛って築かれた防御施設。堀と併せて、山あり谷ありの状況を作る事が多い。 超巨大な土塁により曲輪を築くケースもある。
 
大崎城址の土塁跡。 青斜線部分が堀で、土塁は画像中央から手前まで伸びている。左右奥にも土塁あり。

曲輪、堀切、土塁なんかの見極めができるようになってくると、
「w(゚o゚)w おぉっ!あんなところに堀がっ!!・・・ちゅーことはあの辺りが土塁で・・・ややっ!曲輪発見!!」
・・・というように、何もない山中で1時間ぐらい余裕で過ごす事ができます(自爆)。←バカ

・ 石垣(いしがき)
比較的、主郭(しゅかく=本丸)付近や、土塁の強化のために用いられる場合が多い。
  自然石を積み上げた、野面積み(のずらずみ)
  加工石を積み、隙間に小石を詰め込んだ、打ち込み積み
  隙間が出来ないように計算された加工石を積み上げた、切り込み積み
に大別され、当然後者の方がより近代的。

・ 縄張り(なわばり)
読んで字の如く。 一般に城郭の範囲を指すが、城下町をも含める場合もあり。
役場の観光案内や図書館などで、縄張り図(もちろん複製だが)を入手できる場合もあり。
当然あった方が、当時の様子と照らし合わせて散策できるので城攻めが楽しい・・・はず(←わしだけ?(^^ゞ)。

・ 禄高(ろくだか)
「〜〜石」などとよく表現されるもので、米で計算する武士の給料を指す単位。「石」の読みは「こく(ごく)」。
1人当たりの米消費量が年間1石と言われるので、単純に考えて1万石=1万人が生活できる領地という事。
「加賀百万石」などとよく言われるが、その領地がいかに広大であったかよく分かる。
 また、兵力を指す単位にも用いられ、その場合は1万石=250人と計算するので少しややこしい(笑)。
ちなみに、本能寺の変が起きる直前の織田信長は、800万石(動員可能兵力20万人)ぐらいと言われる。
 これらの計算方式には諸説あり、戦国時代や江戸時代によっても単位・価値が微妙に異なるので、ここであげた数字はあくまで参考。
 (尚、戦国時代には大判小判と称される金貨はなく、砂金などでやりとりしてたそうだよ)

・ 名前
武将の名前には、現代には馴染みのない名称が多い。
「織田上総介信長(おだ かずさのすけ のぶなが)」、「羽柴筑前守秀吉(はしば ちくぜんのかみ ひでよし)」など・・・
やたらと長く、仮名をふると余計に読み難いものもある(笑)。
また経歴などを見ると「従五位下(じゅごいげ)」とか「右大臣(うだいじん)」とか、なんのこっちゃ?

信長などを例に取ると、氏名(うじな)→織田、字名(あざな)→三郎、諱(いみな)→信長、となる。
 諱は「忌み名」とも言われ、古来より家族以外から呼ばれる事を由としない風習があったようで、
通常は字名で呼んでいたらしい。現代で言う「あだ名」というのはここから来ている。
つまり信長は家族から「おい、さぶろー」と言われたんだね(たぶん)。

「上総介」というのは受領名といい、地方の役職名を指すらしく、朝廷(天皇)から貰っていたそうだ。
その者が収めている土地(領地)、あるいは働いている場所などをベースに決められたらしいが、
信長は上総(千葉)とは、事実上ほとんど縁がない。秀吉の「筑前(福岡)」もしかり。
実際には、自称、もしくは上司(殿様)からもらっていたようである。
「従五位下」は官位、「右大臣」は官職といい、その名の通り、官位や役職を指すもの。こちらも朝廷から任命される。

名には、他にも「姓」があり、これは自分の血統を指しほとんどの場合、源氏・平氏・藤原氏・橘氏を指す。
(俗に「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」ってやつね)
 これらの子孫でないと、どんなに権力を握っていても朝廷からは認められなかったのだが、
いくらなんでも自分の祖先を確実に証明できるはずもなく、自称が多い。
(ちなみに信長は平氏、家康は源氏を名乗っていた(=それらの子孫であると))
 秀吉の場合、名もない農民出身だったので源平藤橘を名乗る事ができず(これらの子孫が農民のわけないので)、
朝廷に詰め寄り脅迫し、新たな血統姓・豊臣を授かったのは有名。
(その後、豊臣家は滅亡し、江戸〜現代に至るので豊臣姓の権力者は現れなかった)

・ 旗印(はたじるし)
「馬印(うまじるし)」、「旗指物(はたさしもの)」、「軍旗(ぐんき)」の総称。

戦の際、馬の前もしくは横に立て、自分の所在などを明確にする為のものが、馬印。
家紋などのデザインではなく、色や形で判別される事が多い。
 信長の「唐傘」、秀吉の「逆さひょうたん」、家康の「扇」などは特に有名。

一方、旗指物はドラマなどでよく背中に挿している「ノボリ状」の縦長の物。
敵味方の判別はもちろん、自分の働きを目立たさせる為など、基本的に「個人のもの」だったようだ。
 同じ家柄でも部隊が違えば、デザインを変えるなどしていたので、その種類は多岐多様。
家紋、漢字、平仮名、イラスト、塗り分けなど・・・形も長方形、正方形、三角形など・・・
使われた色も、金銀赤白黄黒紺など・・・実際の戦場はかなり華やかだったかも(笑)。

軍旗は、その名の通り「軍隊」の旗。
大名の家紋などを堂々とあしらったものが多いが、旗指物同様個性的なものも多く存在する。
 上杉家の「毘」、武田家の「風林火山」、本能寺を包囲した明智家の「水色桔梗」などは特に有名。

・ 軍団構成

戦国期の軍団構成(上下関係)は、大体こんな感じだったらしい。
一般的に「足軽=歩兵」というのは下っ端っぽいイメージがあるが、必ずしもそうとは限らない事がよく分かる。
まぁ、乗馬とか射撃などしないので、そういう意味では「誰でもできる」仕事ではあっただろうが。。。
 「宿老」は古くから大名家に仕えた家臣家系が受け持っていたようで、今で言うならキャリア官僚組みたいなもんか。
ご意見番的な意味合いが強かったようである。
 注目すべきは、やはり「軍師(参謀)」。宿老と同等扱い、更には忍び衆・侍大将への直接命令権を持っていた。
実質的に「大名家」を動かしていた「頭脳」役であり、後世に名を残す名将も優れた軍師によるものが多い。
 伊達政宗の片倉小十郎、上杉景勝の直江兼続、石田三成の島左近らは、特に有名。
 足軽衆から立身出世を成し遂げた豊臣秀吉も、若い頃から蜂須賀小六、竹中半兵衛、黒田官兵衛と
 出世の度に軍師を変え、その都度実績を残してきたのだ。

■ おいらも少し攻めてみたいよ
服装は長袖・長ズボンが基本。靴はスニーカーなどしっかりしたもので行こう。
但し、くまんぼはチャレンジャーなので半そでで行く事も多し(自爆)、みんなは真似しないようにしよう(^^ゞ。
 山の中に入るので、ハチとかヘビに要注意。
案内板などがある城址では、大体登山道などが整備されているが、訪問する人が少ないと道も荒れているので
場合によっては勇気ある撤退も必要。 特に夕暮れ時などは気をつけよう。山は暗いよ。
 前述したハチやヘビなどの問題もあるが、草が覆い茂っている場合があるので、本来は夏場の訪問には不向き。
最悪、草に隠れたガケとかに落ちちゃう危険もあるので、ムリはしない事。やはり冬場がベスト。
 また、数日前に雨が降ってたりすると、ぬかるんでるのでこちらも注意。
あと、これは個人的かつオカルト的な要素だけど、城址はその性質上、幾多の人の命をやりとりしてきた場所です。
古くより本丸跡には、神社や稲荷などが祭られている場合が多いので、お参りぐらいはしておこう。(-人-)

とりあえずレポ見てみるよ

〜 城址部・部室(掲示板)は→ こちら (別窓) 〜

 蒼き流星氏の「下道塾城址部騎馬隊・蒼き流星の歴史探訪」も要チェックだ!●


●●  シリーズ・東海道五十三次 へたれ旅 近日公開  ●●

●●● 足軽隊が行く! 城址・古戦場 関係 ●●●

  訪問日     主な訪問先
特 別 編 集 ドキュメント 〜小牧長久手の戦い 近日公開予定 小牧山・楽田・岩崎城、長久手古戦場など(愛知)
2003/09/18・19 鹿野城 & 防己尾城&鳥取城 (別窓) 鹿野城、防己尾城、鳥取城(鳥取)
2003/09/17・18 松江城 & 月山富田城 (別窓) 松江城、月山富田城(島根)
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2002/09/23 甲斐武田、遠州侵攻最前線基地を探索せよ 高根城、高天神城、勝間田城、諏訪原城(静岡)
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2002/07/28 埋もれた古城と国宝 水口古城(滋賀)、犬山城(愛知)
2002/07/27 信長・近江4城ネットワーク 長浜城、坂本城、大溝城、賤ヶ岳古戦場(滋賀)
2002/06/19 ドキュメント 〜おけはざまの暑い1日 清洲・大高・鳴海城、桶狭間古戦場 (愛知)
特 別 編 集 東三河の拠点と松平戸田氏ゆかりの城 吉田城、二連木城(愛知)

特 別 編 集

くまんぼ邸近所に存在した、超マイナーな城

牟呂城、大崎城 (愛知)

2002/05/28

武田家鬼門?の古戦場散策

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2002/05/27 戦国の雰囲気を今に伝える足助の里 伊奈城、羽布城(←撤退)、足助城 (愛知)

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